デメ研社説・twitter考 2009-10-15

twitter考

 人間の技術の進歩というのは、人間が本来持っていて退化した能力や、持ち得なくて希求した能力の外部化として発展してきたのだと思う。蒸気機関からはじまる駆動系は、より早くより強力な肉体を確保するためだが、情報通信系については、超能力に近いものを求めている。ビデオはタイムワープを疑似的にでも実現したし、インターネットはテレポートやテレスコープを仮想現実の中で実現した。これらの目指すことは究極的には「不老不死」の追及になる。(情報化社会における不老不死の追及については、橘川の1981年発行の処女作「企画書」をご覧ください)

 さて、今年はtwitterの勢いが凄い。以前から話題にはなっていたが、使う人が少なく、今年になってから急速にユーザーが増えたのだと思う。アメリカでの爆発の影響もあるのだろうが、こういうのは大勢の人がやらないと意味がない。ネットワーク型の情報通信は、臨界点を超えると加速度的にユーザー数が増える。

 僕もはじめているが、すぐに気がついたのが「ああ、これはテレパシー能力の追及だな」ということ。もし僕がテレパシー能力を身につけて、他人の心が読めるようになって、渋谷の町を歩いたとしたら、たぶん、こういう声が聞こえてくるんだろうな、と想像する。「腹、減った」とか「今日、見た映画はつまらんかったな」というような、一人一人の心のままが聞こえてくる。

 そう思ったので、これは他人の声を聞いた方が面白いな、と思い、最初は、全く知らない人ばかりを適当にフォローしていった。知人だと、内容に意味を感じすぎて、普通のメールになってしまうだろうと思ったから。そうやって、タイムラインを読んでいると、まさにテレパシー能力者になったような気分になった。

 そのうち、友人・知人がフォローしたりフォローされたりして、実用的な要素が加わってきた。インターネットの前の時代、僕は学芸大学の事務所にホストを用意してパソコン通信をやっていた。友人・知人ばかりを集めた「CB-NET」というものだが、僕の友人で当時通信が出来た連中だから、物書き、編集者、エンジニア、マーケッター、ポンプの元読者など、内容の濃いい連中ばかりが数百人登録して、それは賑やかなものであった。

 その頃「オープンメール」というのをやっていた。メール機能はもちろんあるのだが、BBSの一部屋を「オープンメール」として、公開の場でメールをするのだ。例えば、僕がA君に、「今日飲もうぜ」と書き込む。それは本来はクローズなメールの中で語られることだが、オープンにすることによって、それを見た、共通の友人が「オレも参加してよいか」とその掲示板で書き込むことが出来る。ネット環境の本質は「公私混同」だと、ずっと思っていたので、そういう混乱をパソコン通信の中で推進してきた。

 twitterの感覚は、パソコン通信の感覚である。友だちの友だちまで含めた人間関係の半クローズ、半オープンなコミュニティである。僕的には、知らない人たちの雑踏を作ろうとtwitterをはじめたのだが、現在は、半分程度は知らない人、半分が知人となっている。いっそのこと、知らない人だけフォローするIDと、知り合いだけのIDとに分けようと思ったが、面倒なので、そのままにしてある。

 ちなみに知らない人のフォローの仕方は以下である。

1.まずは適当に知らない人で面白そうな発言をしてる人をフォローする。その人がフォローしている人のリストから、また、発言の片鱗で面白そうな人を探す。
2.男女は交互にした方がよいと思う。面白いと思った人がフォローしている人は、だいたい面白かったりするが、選ぶのは一人だけで次ぎに行く。
3.そうやって、適当に数十人フォローしといて、あとは、時々、タイムラインを読んで、つまらないと思った人のは、フォローをはずす。知り合いだと、一度フォローした人のフォローをはずすと、いやな気分にさせるかも知れないが、知らない人だから気楽(笑)。だんだんと良質なノイズ空間になる。

 これは、僕が投稿雑誌をやってきて、知らない人からの膨大な投稿を読み続けたという経験があるから、こういう方法論をテストする気になったのだろう。実際、これをやってみると、投稿雑誌の編集長になったような気がしますよ。

 さて、twitterが普及して、もう一つ気がついたことがある。掲示板、メール、ブログまでは積極的に参加してきた人でも、twitterはやる人とやらない人がいるということだ。登録しても、せわしないのでやめたとか、どうも僕には合わない、と拒否する人などが少なくない。この辺の微妙な感覚が面白い。

 僕がやっている「リアルテキスト塾」のメソッドの一つに「考えないで書く」というのがある。文章が書けない、という人に限って、考えるという迷路に入ってしまうことが多いので、そういう人をバカにしたメソッド。詳しくは、省くが、要するに、文書というのは心を動かせつつ反応して書くべきなのである。立ち止まって考えて書く人ほど、twitterには向いてないと思う。ここには、リアルタイムな反応しかないのだから。反応知とでも言うか。

 固定的な自分を大切にする人や、自分の立場を重視する人はtwitterは向いていないと思う。自分を半開きにして、外の世界とつながることの出来る人にとっては、twitterは、ごく自然なおしゃべり感覚を満足させるだろう。自分と世界を融合させることが、たぶん、twitterの本質だと思う。

企画書 1999年のためのコンセプトノート

橘川のtwitterのIDは「metakit」です。