message for OKAZAKI KYOKO
●みなさんへ(発起人:鈴木琢より)

京子ちゃんとは、お互い高校生のころからのもう20年近い付き合いで、同い年だったり、住んでいるところが比較的近かったこととかから、双方の親を含め、家族ぐるみ(?)でのお付き合いをさせていただいていて、それぞれの結婚式にお互い友人代表の一人としてスピーチしたりしてました。

そんなことで、あの事故がおこってから、(本当にたまに、なんですが)お見舞いに行ったりしてましたので、今回の応援メッセージ作成に際し、彼女の近況を以下簡単にお話させていただきます。

今、彼女は実家で過ごしながら、リハビリをしています。
まだ立って歩くことはできませんが、車椅子に乗って室内を(家族に押してもらって)移動してます。
言葉も、ゆっくりと少しずつであれば話せます。
こちらの話していることは全部判っていて、あの「京子苦笑い」とかも復活してます。
まだ手や指の動きに関してはリハビリ中で、自分で文字を書いたり、メールを打ったり、絵を描いたりすることはできてません。
でも、もちろん手紙やもらったメールを読むことはできて、「一生懸命リハビリをして、自分の手でいつか必ず返信を書くようになる!」と言っています。

なので、彼女のリハビリの励みにもなるように、是非みなさんのメッセージという強くて大きくて暖かい力をいただきたい、と思っています。

いただいたメッセージは、橘川さんと私で責任を持って京子ちゃんに渡します。もちろん、そのときの彼女からのメッセージも、みなさんにシェアさせていただきます。

毎日を一所懸命に闘っている彼女とご家族に、あなたのメッセージをお願いします。


●みなさんへ(発起人:橘川幸夫より)

マンガ家の岡崎京子は、1996年5月に突然の交通事故に逢い、作品を発表することも出来ず、療養生活に入りました。

京子は中学生の頃、僕たちがやっていたロッキングオンを読んでくれて、僕と最初に会ったのは、たぶん高校1年生の頃だったと思う。ドナルドダック顔のかわいい子でした。彼女は、授業中に描いたと思われるノートのきれぱしや、深夜、猛烈な勢いで描いたと思われる大量のイラストを、僕がはじめた「ポンプ」という投稿雑誌に送ってくれました。僕らは京子の繊細でかわいいイラストが大好きで、そのイラストのままの京子自身のファンにもなりました。下北沢の床屋の娘で、東京っ子のシャイで臆病なくせに大胆で、寂しがりやのくせに一人が好きという性質も、僕はシンパシーを感じました。たぶん(忘れたけど)京子のファンクラブを作ろうと言ったのは僕だし、第一号会員も僕だった。

彼女が大学生の頃(1979年頃かな)まだパソコンもなければパソコン通信もなかった頃に、僕は、「駒沢通信」というシステムを作りました。これは10人一組で、ファイリング型のノートを1人1週間ずつ持って、かき込みをし、次の人に郵送するというものです。自分の書きたいことを書いて、他の人の書いたものを読んだり、レスポンス出来たりするものです。要するに「メーリングリスト」みたいなものです。これには、10組100人ぐらいの人が参加してくれたのだけど、京子もメンバーでした。

僕らはみんな無名で、気持ちだけ誰よりもピュアでギラギラしていた時代でした。京子はそこからスタートし、やがて、時代を象徴する作品を次々と発表しました。僕らは、京子の活躍する姿を、ハラハラ・ドキドキしながら凝視めてきました。みんな、それぞれの場で時代と向き合っていたのだと思う。そんな彼女が突然、交通事故に会い、倒れました。

いろんな人から京子の容態を聞かれたりするのですが、ポンプの頃からの仲間で、京子の友人である鈴木琢によると順調に回復しているようです。琢は、やはり高校生の頃からポンプにかかわってきて、大学の頃、町田町蔵たちとバンドやってたりしていて、時代感覚は、京子とぴったりでした。

琢と話をして、京子の知り合い、京子のファンで、京子に応援メッセージを送りたい人の寄せ書きを集めて、京子にプレゼントしよう、という計画をたてました。寂しがりやの京子には、友だちからの手紙が何よりも元気の素になると思います。

なお、書込まれたテキストは、編集の上、小冊子にして彼女に直接、届けることにします。いかにも橘川メディア的な発想なので、京子も喜ぶでしょう(笑)

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この件についてのお問い合わせは、橘川幸夫(kit@demeken.co.jp)までお願い致します。