「人間はその本性からしてソーシャル・アニマルである」 (アリストレス)―「1対不特定多数一方通行」のマスメディアに対して、個人の顔が見える対話的なコミュニケーションをソーシャルメディアと考えてみてもいいんではないかと思います。ソーシャルメディア的現象をあれこれメモしてみます。
デジタルメディア研究所研究員・東大法学部卒業後、都庁勤務などを経てIT関係のライター、翻訳者。著書に「データベース・電子図書館の検索・活用法」(東洋経済新報社・下中直人、市川昌弘と共著)、「 ソーシャル・ウェブ入門入門 Google, mixi, ブログ…新しいWeb世界の歩き方」(技術評論社)など。個人のブログはSocial Web Rambling
2007年11月25日
市川・滑川対談 キルン・ピープルを参考にセカンドライフにゴーレムを導入せよ(2)SFの怪作「キルン・ピープル」から話はセカンドライフに飛んで…前回(1)はこちら
市:そうです。いまのセカンドライフって、3Dで作られたCGの世界の中を、ユーザーがマウスとキーボードを使って、手動でアバターを動かして行く……っていう、オンラインゲームと同じような世界ですよね。
滑:ローズデール教祖は「ゲームじゃない。みんなで世界を自由に作るんだ」って言うけどね。
市:ユーザーとしても別にゲームだと思ってるわけじゃないんだけど、提供されるのはある意味未完成で、目的がいまいちハッキリとしない3Dオンラインゲームの世界なわけでしょ。これじゃ、閑古鳥が鳴きますよ。
滑:実際にやってみると1回、2回は面白いんだけど、毎日アクセスするものとしてはやっぱり面倒くさいってとこがあるね。やっぱりスクリプトでなんかものづくりするっていうんでないと、ただの観客ではモチベーションがなかなか続かない。
市:米軍が兵士を戦地に送り出す前に、3Dのバーチャル技術を使って戦場のシミュレーションをするとかいう目的だったら、いまのセカンドライフでいいわけですよね。でも、いまのウェブの置き換えとして3D化したウェブを考えているのだとしてら、それはちょっと違うだろうと。いまのウェブだって「文字が多すぎて読むのが面倒だ」とか「欲しい情報になかなかたどり着けない」とかいわれるのに、いきなりウェブ全体を3Dになんかしたら「1日歩き回っているのに何も見つからない」とかブーイングの嵐ですよ。
滑:市川教授の処方箋は?
市:たとえばですね。極端に言うと街とかビルとかいった書き割りの部分は捨てちゃっていいと思うんです。「ホントに3Dで提供すべき部分だけを取り出す」ということですね。
滑:そう、そこは重要だね。3Dウェブの本質的な部分は空が飛べるとか街を歩き回れるってことよりも、プレゼンスだと思うんだ。つまり自分が他人と共通の世界にリアルタイムで存在するという体験だね。ここはちょっとハイデガーになってくるんだけれども。