2008年01月24日
なぜ英語がわかる人でも「わからない」と感じるのか? Part3ちょっと話は飛ぶが、国語研究所というのは社会保険庁や高松塚を破壊してJASRACに天下りするのを生業としている文化庁といろいろ共通点を感じさせる。特に「外来語委員会」は困りものだ。
Wikipediaによると、「外来語委員会も同研究所に所属し、外来語言い換えを提案している。(例:「アーカイブ」のかわりに「保存記録」また「記録保存館」)」そうだ。要するに大本営陸軍部が英語を敵性語と認定して「ストライク」を「良い球」と言い換えさせたのとまったく同じことをいまだにやっている。実に珍しい人たちだ。
カタカナを漢字(中国語)に言い換えさせれば「分かりやすくなる」というのも、「特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法施行規則」というような規則名を作って平然としている、いかにも役人らしい発想だ。
カタカナ語の導入は、日本語が極端に音声伝達の能力に欠ける言語であるために、話者が本能的にその欠陥を補おうとしている努力の現われだという点がまったく考えられていない。というよりそもそもこういった国語役人の頭の中には言語はコミュニケーションの道具だという観点が抜けている。
たとえば外国語での日本人の姓名表記を「姓・名の順にしろ」とかいう「と」な案などがそうだ。最近日本でもガイジンの中にまで「姓・名」の順で表記をする例があって非常に紛らわしい。Girolamo PANZETTA氏がバラエティーに出演するときに「パンツェッタ・ジローラモ」と名乗っているのは「芸名」だから目くじら立てるのも大人げないが、ほとんどの日本人にはどちらが姓で、どちらが名前がわからないだろう。
長年の間に、日本では ・ローマ字、カタカナ表記の人名は名・姓の順 ・漢字表記の人名は姓・名の順
という慣習が確立している。「順序」に重要な情報が織り込まれていたのに、それを大本営陸軍部宣伝班の発想でぶちこわされては困る。行革の一環としてこの「外来語委員会」はぜひ廃止してもらいたい。こういう破壊的排外主義はまったく迷惑である。
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