「人間はその本性からしてソーシャル・アニマルである」 (アリストレス)―「1対不特定多数一方通行」のマスメディアに対して、個人の顔が見える対話的なコミュニケーションをソーシャルメディアと考えてみてもいいんではないかと思います。ソーシャルメディア的現象をあれこれメモしてみます。
デジタルメディア研究所研究員・東大法学部卒業後、都庁勤務などを経てIT関係のライター、翻訳者。著書に「データベース・電子図書館の検索・活用法」(東洋経済新報社・下中直人、市川昌弘と共著)、「 ソーシャル・ウェブ入門入門 Google, mixi, ブログ…新しいWeb世界の歩き方」(技術評論社)など。個人のブログはSocial Web Rambling
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2007年11月26日
「ダカーポ」休刊―まだやってたのか?「ダカーポ」が12月発売の第620号で休刊だそうだ。へー、まだ続いてたの、というのが率直な感想。全盛期には20万部も売れていたというが、今となってみると、そっちが信じられない。昔、橘川が恵比寿の事務所のころ、例のノリで「ダカッポ」ってのをやってたような気がする。現代気分の基礎知識を始めたころだったか? どんなプロジェクトだったかぐぐってみたが、さすがのGoogleでも漆の樹液を入れる桶しか出てこなかった。
サイゾーも記事にしていたが、さわりをちょっと書いただけで後は
⇒この他の休刊雑誌や、今後の出版業界についての詳しい分析は、「サイゾー」12月号をチェック!
とリンクもなしで紙媒体に送りこもうとしていた。「メディアソリューションをワンストップで提供する」というのがイフォバーンの目標だそうだが、それならこういう「いきなり袋小路」なページの作り方には違和感がある。2007年11月25日
市川・滑川対談 キルン・ピープルを参考にセカンドライフにゴーレムを導入せよ(2)SFの怪作「キルン・ピープル」から話はセカンドライフに飛んで…前回(1)はこちら
市:そうです。いまのセカンドライフって、3Dで作られたCGの世界の中を、ユーザーがマウスとキーボードを使って、手動でアバターを動かして行く……っていう、オンラインゲームと同じような世界ですよね。
滑:ローズデール教祖は「ゲームじゃない。みんなで世界を自由に作るんだ」って言うけどね。
市:ユーザーとしても別にゲームだと思ってるわけじゃないんだけど、提供されるのはある意味未完成で、目的がいまいちハッキリとしない3Dオンラインゲームの世界なわけでしょ。これじゃ、閑古鳥が鳴きますよ。
滑:実際にやってみると1回、2回は面白いんだけど、毎日アクセスするものとしてはやっぱり面倒くさいってとこがあるね。やっぱりスクリプトでなんかものづくりするっていうんでないと、ただの観客ではモチベーションがなかなか続かない。
市:米軍が兵士を戦地に送り出す前に、3Dのバーチャル技術を使って戦場のシミュレーションをするとかいう目的だったら、いまのセカンドライフでいいわけですよね。でも、いまのウェブの置き換えとして3D化したウェブを考えているのだとしてら、それはちょっと違うだろうと。いまのウェブだって「文字が多すぎて読むのが面倒だ」とか「欲しい情報になかなかたどり着けない」とかいわれるのに、いきなりウェブ全体を3Dになんかしたら「1日歩き回っているのに何も見つからない」とかブーイングの嵐ですよ。
滑:市川教授の処方箋は?
市:たとえばですね。極端に言うと街とかビルとかいった書き割りの部分は捨てちゃっていいと思うんです。「ホントに3Dで提供すべき部分だけを取り出す」ということですね。
滑:そう、そこは重要だね。3Dウェブの本質的な部分は空が飛べるとか街を歩き回れるってことよりも、プレゼンスだと思うんだ。つまり自分が他人と共通の世界にリアルタイムで存在するという体験だね。ここはちょっとハイデガーになってくるんだけれども。
2007年11月24日
市川・滑川対談 キルン・ピープルを参考にセカンドライフにゴーレムを導入せよ! (1)滑:こないだ市川君に勧められた「キルン・ピープル」さっそく読んだよ。これはバーチャルワールドもののSFとしてひさびさにヒットだね〜。
市:おもしろいでしょう。これは「霊子工学」ってものが発達した近未来の話で、粘土の塊に工学的にユーザーの「霊」を刷り込むと、粘土が賦活化されて24時間に限って本物そっくりの「ゴーレム」になって活動できる、という設定なんです。
滑:ゴーレムってのはユダヤ神話でラビが呪文を唱えるか何かすると精気を吹き込まれて動きだすという泥人形だね。ロボットのアーチタイプだから、SFではもちろん定番なギミックなわけだけど、ゴーレムを1人称で主観描出するってのはぶっ飛んでる。
市:そんな設定で長編が書けるのかと思って読み出すとこれが正統的なハードボイルド探偵モノの定石に乗って快調に飛ばしてくんですね。
滑:最後の方でやたら哲学的になったあたりでちょっとだれるけど、全体として4つ星(5つ星を満点として)くらいはやりたいな。バーチャルワールドではフィリップ・ローズデールがセカンドライフを作るとき「スノウクラッシュ」をヒントにしたっていうのが有名だけど、「キルン・ピープル」も新しいタイプのバーチャルワールド構築のヒントがいろいろありそうな気がした。
市:いやー、実はこのネタは、元々オンブック近刊予定「セカンドライフ国勢調査」のあとがきで使おうと思ってたんですがw
滑:わりーわりー。
市:不思議なのはこれだけセカンドライフが話題になっているのに、誰も「キルン・ピープル」について言わないですね。Webマーケティングでメシ食っている人たちって、SFなんか読まないみたいですね。Web2.0な人たちもSFなんか読まなさそうだ。ま、そんなとこでダメ出ししてもしょうがないけどw 実際、「キルン・ピープル」には、セカンドライフが成功するためのヒントがたくさん詰まっていると思います。というか、ボクがリンデンラボの社長だったら、セカンドライフをこういう方向に持っていきますね。
滑:というと?
2007年11月19日
市川編集長に聞いてみよう 〔1〕 レイザー・ラモンの本物はどーしてる?滑川もかなり雑学には強いほうだが(強いのは主にそれだろうという声も聞こえる)、On Bookの市川編集長も「知らない」と言ったのを聞いたことがないとんでもないモノシリだ。当方の苦手な音楽、芸能、スポーツ分野にもめちゃくちゃ強い。
どのくらい強いかというと、たとえばですね。On Bookのパーティーの後、世田谷の広壮な(w)マンションに泊めてもらったのだが、なんの話のついでだったか「そういえばレイザーラモンの本物ってどうしてるんだっけ?」とふと尋ねてみたところ、たちどころに―
お、それは滑川さんいい質問ですね。
レイザーラモンていうと世間一般的にはレイザーラモンHGの芸名という認識しかないんですね。
まずレイザーラモンていうのはHGの住谷君とRGの出淵君て2人のお笑いコンビ名なんですよね。HGが有名になりすぎちゃって、これも知らない人が多いですね。で、実はこの名前、2人が好きだったプロレスラーの名前から拝借したものなんです。
住谷君は同志社大学のプロレス同好会、出淵君は立命館大学のプロレス同好会で、2人とも学生プロレスで活躍していたのがきっかけで、お笑いコンビを結成したらしい。住谷君のリングネームは「ギブアップ住谷」で、京都統一ヘビー級王者になったことがあるそうです。関西の学生プロレスでは有名な存在だったらしい。
で、2人が学生時代好きだったプロレスラーというのが、当時っていうのは90年代前半だと思うんですが、アメリカのWWF、今のWWEですね。WWFという名前は例のパンダ印の「世界自然保護基金」にオレの方が本家だってクレームつけられてWWEに改名させられちゃったんですね。レイザー・ラモンてのが当時のWWFで活躍していたヒールだったんです。ドラッグの密売人という設定の悪党キャラで、革のチョッキにつまようじというコスチュームで、試合中につまようじを対戦相手に飛ばすというギミックがトレードマーク。
本名はスコット・ホールっていうんですけど、これがアル中でリング外でのトラブルが多い。プロレスラーらしくてぼくはこのタイプ好きですけどね。でも試合すっぽかしたり、暴れて逮捕されたりでWWFをクビになっちゃうわけです。
その後WCWという別の団体に移籍するんですよね。で、そこでハルク・ホーガン、ケビン・ナッシュの3人で「nWo」というチームを作って、これがバカウケして大スターになるんだけど、やっぱり酒とトラブルはあいかわらずで、同じことの繰り返し。いろんな団体を渡り歩きながら最近は姿を見ないなーとか、そんな感じだったんですが……。
ところが最近ですね、スカパーのプロレス専門チャンネルを見ていたら、グレート・ムタがプエルトリコに遠征するという番組の中で、出てきましたよ、スコット・ホールが! いまはプエルトリコの団体に出ているんだそうです。
試合の風景も流れて、体はちょっとたるんじゃったけど、やっぱりプロレスはうまかったですよ。かつてのスーパースターがプエルトリコの田舎の体育館をサーキットして回っているなんて、背中にちょっと哀愁が漂っていて、なかなかいい味を出してましたよ。どうせならHG住谷君にも、あそこまで頑張って欲しいですね。ジイサマになっても腰を振りながら「フォー!」とかやってくれたら感動もんですよ。
うむ、なるほど。いや完膚なきまでに分かったw
というわけで、これからもときどき「市川編集長に聞く」を掲載しようとおもう。
先日 ON BOOK のパーティーでという記事には橘川や裕子さんに加えて滑川のこともちらり。ブログにはタイトルどおり岩谷さんの近況もそこここに。みなさんもぜひ訪問してみましょう。バナーがかわいい。
2007年11月13日
ロッキングオンの事務所放浪時代金曜日のパーティーで岩谷宏さんの奥様にお目にかかったのでロッキングオン時代の記憶がいくつか断片的に戻ってきた。私が最初にロッキングオンを見たのは池袋西口の今は亡き芳林堂本店の1奥の同人誌コーナーで平積みなっていた3号だった。真崎守のイラストが緑のモノクロで印刷されていた。それを読んでなにか投稿したらしい。
会いに来ないかと呼ばれて行ったのが渋谷丸山町の坂の中腹のラブホ街の雑居ビルの2階か3階だった。えらく見晴らしがよかった。渋谷は紺のトレンチを着て忙しげにしていた。ちょうどデビッド・ボウイの写真をあしらった銀色の表紙の4号が刷り上ったところだった。
岩谷さんの勤めている会社に居候しているということだったと思うが、その居候させていただいている会社の人をほとんど見かけた記憶がない。このビルではサブマリンという新宿のロック喫茶の常連の女の子と2人で何回かしょざいなく電話番をした。
そんな幽霊屋敷みたいな事務所では長続きするわけがなく、会社が移転したのか別の会社になったわからないないが居候先が一気に八丁堀に飛ぶ。これが階段はぎしぎし軋んで油性ワックスのにおいがしてドアはすりガラスにはげちょろけの金文字、というレトロというより古色蒼然たる木造2階建。ここへはNHKのラジオ番組が取材にきた。当時デンスケと呼ばれたプロ用小型オープンリールテープコーダーがもの珍しかった。
八丁堀はけっこう長かったような気がする。よく勤労福祉会館の暗い食堂で昼飯を食った。橘川によると八丁堀の後、築地へ移ったというのだが、そこの記憶がない。春から夏にかけて、田端の駅から坂を上った閉店した喫茶店に少しいて、それから赤羽のこれも閉店した喫茶店に移ったと思う。この喫茶店のオーナーで元マスターは渋谷の叔父さんだったと思う。2階の窓から見下ろすと北本通の電柱に「注射堂肛門科」という看板が出ていたのがイヤに印象に残っている。
赤羽の後が東中野の橘川の事務所兼住まいだったろうか? ここはビルの向かいに今で言うビストロのはしりのようなカウンターだけの洋食屋があって、エビドリアをときどき食べた。その後しばらくロッキングオンから離れていて、次に戻ったときが駒沢の橘川家だったか。ロッキングオンをやめてからだいぶたってから六本木の事務所に1〜2度遊びに行ったことがある。もう就職していた時期だったか、その直前だったか?
いや、いろいろ覚えているような気がしているだけで、穴だらけのjフルイもいいところ。記憶をしゃくってももうほとんどひっかかってこない。日記はかかないくても少しは写真でも撮ってあったらもう少し思い出すタネも残っていたのだろうが。なぜか長いこと日常の記録写真を毛嫌いしていたのが残念。
2007年11月12日
On Bookのパーティー世間にはすでに気の早いクリマスツリーが登場する11月9日の夕方、橘川のOn Bookのパーティーに参加してきた。パーティーの趣旨や詳しいことは橘川の社長日記のエントリーをご覧いただくとして、撮った写真を何枚かアップ。
会場は学芸大のOn Book(デメ研)からほど近い「ガーデン・カフェ」。 感じのいいお店だ。
On Bookの成果をディスプレイする中村営業部長と市川編集長を監督する小林総務部長w
左から市川、中村、橘川。橘川もさすがに緊張ぎみ。外でメガネをかけてるのは珍しい。
岩谷啓子さんに何十年ぶりかでお目にかかれた! ロッキングオンをやっていた時分、四谷若葉町だったか、岩谷宏さんのアパートへ何か届け物をしにいったときが初対面で、考えてみると―まあ、年数はともかくかなり昔の話になる。
パーティーは大盛況で、いろいろな皆さんとお話ができてよかった。