2007年08月06日
書評 「インターネットは誰のものか」 ★★★★★著者は総務省の現役課長。ブロードバンド競争政策を担当してきたほか、ワシントンの日本大使館で情報通信政策のアタッシェを務めている。Nikkeiのネット時評にもたびたび寄稿するなど「発言する官僚」として知られている。
一言で要約すればこの本は「インターネットの中立性問題」の一般向け解説である。あまり注目を引くネーミングではないうえ、説明が面倒なので、この問題は業界外ではほとんど知られていない。「いや、これは利用者の誰にも関係する話ですよ。知らないではすまされない大問題ですよ」ということを分かりやすく解説している。
実はこの「ネット中立性問題」、「ソーシャル・ウェブ入門」を書いているとき、解説を試みたことがあるのだが、あっという間に挫折してしまった。なにしろ、インターネットという巨大システムの技術面とビジネス面を一般向けに説明するというのはいへんな力ワザが必要になる。
一般的ユーザーのインターネットに対する認識といえば、「(Yahooの)孫さんがやってるんじゃないの?」という程度だろうというジョークがある。実際われわれが日常接するインターネットは契約しているISP(プロバイダ)までで、その向こうはブラックボックスというか「雲」のままになっていても利用にはまったくさしつかえない。ところが近い将来インターネットの仕組みは大きな曲がり角を向かえようとしいる。この問題を理解するためには、プロバイダの先のネットがどういう仕組で運営されているのか、どうしても一定のの知識が必要になる。
本書では、問題点を理解するための前提つとして「小さいサーバが大きなサーバに接続するときには、小さいサーバは大きいサーバに接続料金(トランジット料)を支払わねばならない」といったビジネス的な仕組みから、「ISPや通信キャリヤ自身も正確な負担割合を決められるようなトラフィックデータをもっていない」といった実態まで、インターネットをビジネス・システムとして理解するために必須の知識が幅広くわかりやすく紹介されている。
そこで何が問題になっているのかという点だが、もともとアメリカ西海岸のアカデミックなコミュニティーを文化的なルーツにしてきたインターネットは、「ボランティア精神による助け合い」を基調としてきた。ところがGoogleの登場で、インターネットが巨大ビジネスの主戦場に生まれかわってしまう。
インターネットの商業化にともなって画像、動画や音楽などのサイズの大きいマルチメディアデータの配信が普及するにつれて、下り方向のトラフィックが爆発的に増大した。ここで通信業者(アメリカの場合、電話会社とケーブルTV会社)とコンテンツ業者(Google、Amazon、Yahooなど)の利害が鋭く対立することになる。通信業者側ではコンテンツ業者を「タダ乗り」と非難して、回線増強のための費用の負担を求めている。このこと自体には一般論としていえばある程度の根拠があるのだが、現実には通信事業者が本質的に反・競争的な巨大な独占(寡占)企業であることを考慮する必要がある。
たとえば、回線容量の逼迫を口実に、回線を所有している通信業者が自社のサービスを優遇して顧客(たとえばGoogle)のトラフィックを絞るような恣意的な運用が行なわれれば、致命的な不公正が生まれる。公共サービスである通信業者にそのような不公正な競争は許されない、というのが実は「ネット中立性」理論の骨子なのだ。
「自律・分散・協調」というインターネットの本来の文化をベースに、通信業者などの「持てるもの」が不公正な方法で市場を支配するのを防ぎ、「ネット中立性」を守るルールを試行錯誤しながら作っていくべきだというのがおおむね本書の結論とみてよいだろう。
総務省の政策を形成するグループにこういう正しい意見を持った人物がいるというのは心づよい。
個別のテーマについてやや広く浅くなっているのは本の性格上やむをえない。この著者にもっと突っ込んだ話を聞いてみたい。デジタルにかぎらずメディアに関心のあるひとには絶対の必読書。星★5つ。
comment