デジタルメディア研究所研究員・東大法学部卒業後、都庁勤務などを経てIT関係のライター、翻訳者。著書に「データベース・電子図書館の検索・活用法」(東洋経済新報社・下中直人、市川昌弘と共著)、「 ソーシャル・ウェブ入門 Google, mixi, ブログ…新しいWeb世界の歩き方」(技術評論社)など。個人のブログはSocial Web Rambling

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2008年04月27日

林雄二郎先生を囲む会

デメ研主催の「森を見る会」に出席。橘川が昔から親しくさせていただいている林雄二郎先生が「近頃の学者は森どころか木も見ないで枝葉ばかり見ている」と嘆かれたという。で、林先生をお招きして「森の見方」を伺おいう、というような趣旨らしい。リアルテキスト塾生・OBのみなさんはじめ橘川人脈が集まって林先生のお話をうかがった後、近所のガーデンカフェで懇親会。

林先生のお噂はかねがね橘川聞いていたので初めておめかかるような気がしなかった。循環によって長く維持可能な閉鎖系システムを作るには社会に「静脈系」産業を導入しなければならないという持論のレクチャーを伺う。

林先生は、談論風発、70代にしかみえないが、大正5年生まれの91歳。白川静先生とならんで人類のためになるご長寿だ。白川先生によると、中国の思想では人間の天寿を120歳として、「上寿」と呼んでいるという。われわれ後生のため、ぜひ上寿を超えてご活躍いただだきたいもの。

懇親会では妹尾さん、「未来検索ブラジル」の西野さん、ハノイでIT事業を展開されているHanoi Advanced Labの佐藤さん、セルシス(ブログ:Israel Hi-tech Diary)の加藤さん、はじめいろいろな方とお話が盛り上がった。みなさんよろしく。

(続きに写真あり)

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2008年03月18日

きつかわゆきお、「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。」大出版記念会

遅ればせながら橘川の出版記念パーティーのご報告を簡単に。

本の中身だが、1ページにひとつだけアフォリズムを配置するというフォーマットは橘川の文体にたいへんよくマッチして読みやすい。糸井重里さんが橘川を「オレに言わせりゃの宝物殿」と評したことがあったが、こんどの本はさしずめ橘川の正倉院か。

「詐欺というならプチ整形も詐欺だろう」、「満月の日に酒宴すると泥酔する」、「エコビジネスには死の商人の匂いがする」などなど、フォークボールから剛速球まで「オレに言わせりゃパワー」が自由自在に発揮されている。

文句なくこれまでの著作のベストだ。

会場は東京キネマ倶楽部という元グランド・キャバレーだったという鶯谷駅前の貸ホール。昭和初期に大正ロマンをモチーフにデザインされたとか。舞台と吹き抜けのダンスフロアを馬蹄形のバルコニーが2層に囲んでいる。日本にはたいへん珍しい西洋式にタッパのあるハコだ。絢爛としてるのとうらぶれてるのが絶妙にマッチw。橘川らしい。

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例によって段取りはでたとこ勝負。みんながフォローするのでなんとかなってしまうのだが…。受付準備風景。ボランティアの呆れと諦めが半々な表情にご注目。和服の背中は橘川の奥さん、小林裕子さん。男女を問わずわれわれの年代で和服をきちんと着て思い切り走り回って着崩れしないというのは(お茶やお花の先生や粋筋のようなプロは別として)珍しい。なにをやっても才人はちがう。

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「こども調査研究所」の高山英男所長が主賓格で挨拶された。

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高山さんにお目にかかるのも何十年ぶりかだ。ロッキングオン時代に一度橘川の紹介で、高山さんがSF作家・評論家の山野浩一氏をインタビューするのにお供してテープ起しをしたことがある。なんと30年もたって、ほとんどお変わりなく、私が覚えていたとおりの姿でいらしたのには驚いた。あやかりたいもの。

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今をときめく売れっ子作家、田口ランディ氏が娘さんと登場。橘川の「弟子」筋にあたるらしい。ぜひ師匠も売れてもらいたいものだ。

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「社長日記」でも紹介されているnComputingのユニークなウルトラシンクライアントのソリューションを提供しているファイアサイド・マーケティングから才色兼備な経営陣がご光臨。

技評からは加藤さん、和田副編、日経BPからは藤田さん、竹内さん、柳瀬さんといったおなじみの皆さんともお会いできたし、S堂、C書房の編集者のかたがたとお話できたのもおもしろかった。これだけ中身の濃いパーティーも珍しかった。こういう会を企画した橘川に感謝。

では本のご購入方よろしく。

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ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。

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2008年02月29日

Amie Streetはピープルパワーによる楽曲流通の新しいかたちをめざす

音楽ビジネスにはエジソンが蓄音機を発明して以来の革命が起きている。音楽ビジネスは伝統的な著作権の主張だけでは支えきれなくなっている。

レコード産業の根本的なビジネスモデルは長年「録音製品の複製と流通が高価で困難なこと」に頼ってきた。しかしデジタル化によって無限の複製がゼロコストで作れるようになり、さらにインターネットによって無限の流通がゼロコストで可能になった。

この変革はテクノロジーとそれをベースにした社会的インフラに起きた革命から派生しているものだからいつまでも人為的に押しとどめておけるものではない。

Yahooの音楽部門のディレクターは「ナップスターを著作権侵害を広めたといって訴追するのはニュートンを重力の概念を広めたといって訴追するようなものだ」と批判している。

しかし、既存レーベル側は頑として現実を「見ないフリ」をし、もっぱらユーザーを無差別に訴えるという抑圧的・権力的な手段にたよってきた。

しかしいくらユーザーを無差別に訴えてもユーザーに音楽を買わせることはできない。レコード産業の市場規模は急激に収縮している。

レコード産業と音楽ビジネスは別物である。しかしレコード産業と著作権を食い物にする官僚の力が支配的な日本市場ではレコード産業が音楽ビジネス全体を衰退させる恐れがある。

その意味でも新しいビジネスモデルが成功することが音楽ビジネス全体のために必須だ。

インターネットを利用してユーザーとアーティストを直結し、レーベルやプロダクションの介入をできるかぎり排除した新しい音楽のビジネスモデルを作る試みが2006年後半から英米で目立つようになっている。

その中で、Amie Street という新しい音楽販売ビジネスモデルを試みているサイトが注目を集めている。

このビジネスモデルはユーザーによる「逆オークション」で価格を設定して楽曲をダウンロード販売するというもの。

アーティストが曲をアップロードすると、ユーザーは当初無料でダウンロードできる。曲に人気が出てダウンロード数が増えると有料になるが、最初は1曲10セント程度ときわめて安い。人気が出るにしたがって価格が上がり、最高額は99セントとなる。平均的な人気曲は30セント前後で販売されている。アーティストは売り上げの70%の分配を受ける。

Amie Streetのビジネスモデルにはファウンダーのジェフ・ベゾスが賛意を示し、支援に乗り出している。

このAmie Streetの日本版がオープンしていることを最近教えられた。社長の松田氏は、TechCrunchで、Amie Street の存在を知り、直接アメリカの本家と交渉して日本法人を設立したという。

実はこの松田氏と2月27日にデメ研の橘川社長、OnBookの市川編集長の両氏ともどもお会いする機会があった。

(次回につづく)

2008年02月17日

エリザベス/ゴールデン・エイジ ケイト・ブランシェットはすばらしい

ひさびさに映画を見た。日比谷スカラ座で「エリザベス ゴールデン・エイジ」。

ケイト・ブランシェットは申し分ない。撮影、美術はよい。演出、スペクタクルシーンもまずまず。しかし残念ながらウォルター・ローリー役のジェフリー・ラッシュがダメ。脚本も弱い。

1点=金返せ 2点=不満 3点=料金だけのことはある 4点=DVDを借りてまた見る 5点=感動した!

というスケールで3.5点。

ローリーは山師、海賊、冷酷な人殺しとロマンティックな恋人の両方の側面を表現しなければならないが、ジェフリー・ラッシュは頭の悪そうな粗野な田舎者にしかみえない。海賊といっても「宝島」の舵手イズレール・ハンズくらいがせいぜい。船長の柄ではない。ジョニー・デップが(目のくまどりだけは止めて)やったら、とあらぬことを考えてしまった。

脚本もアルマダとの戦いと女王とローリーの恋に話が分裂したまま、まとめきれていない。

英国史上最初にして最高のスパイマスター、ウォルシンガムの名前と役割を世間に広めた点は買える。

2008年02月12日

デジタルvsアナログ―どちらがより「自然」?

「どうもデジタルはさっぱりで」とか「近頃はデジタル時代だから」などと日常使われる場合の「デジタル」というのは「コンピュータ」とほぼ同義のようだ。「やっぱりアナログはうるおいがあって自然でいいね」というときの「アナログ」は逆に「非コンピュータ的」を意味している。

しかし、デジタル情報はコンピュータ化のための不自然なテクノロジーだが、アナログ情報は人間本来の機能に根ざした自然さなもの、というような分類が本当にそうなのか、考えてみる必要がある。

大脳生理学的にいえば動物の神経系の情報伝達はパルスの数で刺激の強さを表現しているのだから完全にデジタルなシステムだ。人間の網膜も独立した感光性細胞の集合だから全体としてデジタルビデオシステムである。

そういった生理学的レベルを別にしても、デジタルという言葉自体に重要なヒントが隠されていると思う。

英語でdigitalはdigitの形容詞だ。digitとはもともとラテン語のdigitus=指の意味である。インド・ヨーロッパ語根のdeik=指にまでさかのぼる古い言葉だ。指はフランス語ではドワ、イタリア語ではディト、ギリシャ語ではダクテュロスという。すべて語頭にd音が来るのは偶然ではない。ちなみに英語とドイツ語で指のことをfingerというのはインド・ヨーロッパ語根のpenkwe=5から来ている。(アメリカ国防総省をペンタゴンというのは五角形という意味)。

「指」→「指折り数える」→「数」となったわけだ。

そう、デジタルというのは根源的には「いち、にー、さん、よん…」と指折り数えることなのだ。

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(この項つづく)

2008年01月24日

なぜ英語がわかる人でも「わからない」と感じるのか? Part3

ちょっと話は飛ぶが、国語研究所というのは社会保険庁や高松塚を破壊してJASRACに天下りするのを生業としている文化庁といろいろ共通点を感じさせる。特に「外来語委員会」は困りものだ。

Wikipediaによると、「外来語委員会も同研究所に所属し、外来語言い換えを提案している。(例:「アーカイブ」のかわりに「保存記録」また「記録保存館」)」そうだ。要するに大本営陸軍部が英語を敵性語と認定して「ストライク」を「良い球」と言い換えさせたのとまったく同じことをいまだにやっている。実に珍しい人たちだ。

カタカナを漢字(中国語)に言い換えさせれば「分かりやすくなる」というのも、「特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法施行規則」というような規則名を作って平然としている、いかにも役人らしい発想だ。

カタカナ語の導入は、日本語が極端に音声伝達の能力に欠ける言語であるために、話者が本能的にその欠陥を補おうとしている努力の現われだという点がまったく考えられていない。というよりそもそもこういった国語役人の頭の中には言語はコミュニケーションの道具だという観点が抜けている。

たとえば外国語での日本人の姓名表記を「姓・名の順にしろ」とかいう「と」な案などがそうだ。最近日本でもガイジンの中にまで「姓・名」の順で表記をする例があって非常に紛らわしい。Girolamo PANZETTA氏がバラエティーに出演するときに「パンツェッタ・ジローラモ」と名乗っているのは「芸名」だから目くじら立てるのも大人げないが、ほとんどの日本人にはどちらが姓で、どちらが名前がわからないだろう。

長年の間に、日本では
・ローマ字、カタカナ表記の人名は名・姓の順
・漢字表記の人名は姓・名の順

という慣習が確立している。「順序」に重要な情報が織り込まれていたのに、それを大本営陸軍部宣伝班の発想でぶちこわされては困る。行革の一環としてこの「外来語委員会」はぜひ廃止してもらいたい。こういう破壊的排外主義はまったく迷惑である。

2008年01月21日

なぜ英語がわかる人でも「わからない」と感じるのか? Part 2

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言語の脳機能に基づく言語獲得装置の構築

ノーム・チョムスキーの「生成文法」の全てが正しいかどうかは大いに疑問だが、少なくとも「人類は生得的に普遍言語機能を備えている」という基礎となるドクトリンは最近の大脳生理学の進歩で日一日、補強されている。

人類の言語の枠組みはDNAに刻まれているとなれば、人類の祖先がアフリカで生まれたときに「人類祖言語」も生まれ、その後、人類が時間的・地理的に拡散していく過程で言語も個別言語に分化していったというシナリオが自然だ。

ところで、もともと言語というのは「聞く・話す」という音声による伝達機能であり、文字というのは人類の歴史上ごく最近、一部の地域で利用されるようになった2次的な機能にすぎない。そのためアルファベット文化圏の言語学では、文字で書かれた言語は音声言語の単なる反映に過ぎないとして、いっさい研究の対象とする必要はないという態度が支配的だった。(現在も支配的である)。

ところが日本のような「漢字かな混じり言語」地域では、事情が違う。日本語というのは文字を知らなければ十分に利用することができない。

「わかる」という心的状態はDNAに刻まれた「聞く・話す」という身体言語回路を起動させないかぎり得られない。ところが日本語は「耳で聞いただけではわからない=音声だけでは言語として不完全」という世界的に珍しい、やっかいな言葉なのだ。

これは中国語から漢字を全面的に輸入したにも関わらず、発音までは輸入できなかたため、理不尽なほど多数の同音意義語が生じてしまったためだ。(英語には音節の数が数千あるが、日本語には「あいうえお」50音に濁音、拗音などすべて合わせても100を少々超える程度しかない)。

「コウテイ」と聞いただけでは高低、公定、肯定、校庭、工程、公邸、校訂、航程…なんのことやらわからない。「このツボはコウテイがショゾウしていた」とまで聞いても、ナポレオンか利休の弟子かわからない。そもそもたった一つの発音「コウテイ」にこれほど多数の意味があることを記憶するには漢字の知識が必須だ。

逆に、われわれの耳はいつも無意識に文字にたよるクセがついてしまっている。いつも補助輪つきの自転車に乗っているようなもので、これが音声コミュニケーションの能力の発達を大幅に妨げている原因のひとつだろう。

「英語(に限らず外国語)が分からない」と感じる理由は「分かる」という感覚がDNAに配線された音声言語に基づいているからに違いない。つまりいくら文字で文章を読んで理解できても、音声回路を作動させないかぎり「分かった」という感覚は得られないのだろうと思う。

(この項続く)

2008年01月17日

なぜ英語がわかる人でも「わからない」と感じるのか?
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しばらく前に「遺伝子操作でネコを怖がらなくさせたネズミを作ることに成功」という記事がマスコミの注目を浴びたことがある。本家の研究室のプレスリリース「哺乳類の匂いに対する好き嫌いは先天的に決まっていた − マウスの脳内から先天的と後天的の2つの匂い情報処理回路を発見 −」はたいへんわかりやすく、よく出来ている。写真も単なる実験の記録という以上にツボにはまっていてうまい。

この研究で明らかになった重要な点は、動物の行動には「ハードワイヤード」された反応と「プログラマブル」な反応が並行的に存在することだ。上の写真で青い線がDNAに書き込まれた先天的な反応で、赤い線が後天的に学習された反応を示している。

言語活動はマウスのような手軽に実験できる動物には存在しないので、残念ながら同様の実験を言語の分野で行うのは難しい。しかし、現在までにいろいろな方向から言語もハードとソフトの平行的な活動だろうという証拠が積み重ねられている。つまり人間の言語活動のベースとなる機能の一部はDNAに直接書き込まれているのだろうと推測されている。

人種、性別を問わず赤ん坊はどんな言語環境で育てられてもその環境の言語をたやすく学習する。またこれほど膨大な数の言語が存在するのに、言語の基本的構造は変わらない。(あらゆる言語に名詞、動詞、形容詞、目的語などの文法的範疇が存在する)。こういったことは人類のDNAの共通性に由来していることを強く示唆するものだ。

つまりハード(脳の先天的機能)的にはどんな言語だろうと「わかるのは人間なら当たり前」なのだ。

しかし人間の言語活動には完全にソフトウェアに規定されている分野がある。それは文字言語の領域だ。いうまでもなく文字は100%文化の産物だ。文字を読み書きするDNA因子というのは考えられない。

そこでどういうことになるのか?

文字言語(読み書き)だけを習うというのはいわば脳の後天的回路だけを使うという点で上の「先天的回路を壊した遺伝子操作マウス」によく似た状態になっていると考えられる。

(この項つづく)

2007年12月27日

Amazonのクリスマス、Wii、日本以上にアメリカを席捲

Amazonのクリスマス商戦の結果が出た。ゲーム分野(ソフト、ゲーム機ハード)では日米ともWiiが強かったが、アメリカ市場ではトップ10のうちWii関連ハードが5つ、ソフト2本という圧勝ぶり。ソフトではXboxのコール・オブ・デューティー4が1位と健闘したが、ソニーはPS3ワイヤレスコントローラが入っただけで、ソフトは1本もなしという惨敗。日本もWiiが勝っているが、アメリカ市場ほどの独占ではない。おそるべし、株式時価総額9兆5千億企業。

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NORAD、サンタが「のぞみ」の100倍速いと計算

NORAD(北米宇宙航空防衛司令部)はクリスマス恒例のサンタ・モニター・プロジェクトでサンタを日本まで追跡してきた。しかるべき高等数学で計算したけっかサンタのそりは新幹線のぞみの100倍速いと判明したという。これが事実なら、秒速6.9Km/hとなり、第一宇宙速度7.9kmにかなり近い。サンタがトナカイにあと一鞭当てればサンタが衛星になるのも夢ではない。

こちらは本物のトナカイが引くソリ。フィンランドからの投稿

というわけで遅くなりましたが、メリークリスマス!