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2008年04月11日

深呼吸宣言

「深呼吸する言葉」
インターネット時代の新体詩運動を開始します。

橘川幸夫(きつかわゆきお)

◇21世紀も8年を過ごし、そろそろ20世紀とは異質な概念やスタイルが登場しても良い頃かと思う。情報化社会のスペックが揃い、ネットワーク環境が整ってきたにもかかわらず、そこで繰り広げられている表現行為に本質的な新しさがあるだろうか。既存の価値観に対するパロディや迎合ではない、本格的な表現活動の動きが始まるべきだ。

◇若い世代は、ベンチャービジネスには関心を持っても、ベンチャー文学を立ち上げようとはしない。利益構造しか見えていない大人たちと同じ土俵で勝負して、どうする。コピーバンドをやって、先人の真似するだけのテクニックを身につけてどうする。魂の叫びを封印して、なんのための表現行為だ。

◇検索エンジンを使って、他の人の意見を探し、それを自分のブログで紹介するだけで、どうする。現在のブログに掲載されている情報の大半は、他の情報のコピペだと言われている。「どこそこで誰がこういった」「こんなニュースを見つけた」というような、余計なおせっかいをすることで、何かを表現しているように思うのは誤解だ。せっかくのネットワーク環境を持ちながら、オリジナルな情報発信をしようとするものが、あまりに少ない。僕は、親切な情報紹介者ではなく、あなた自身の「本当の言葉」を聞きたいと思う。

◇参加型メディア(CGM)とは、誰もが参加出来るシステムを作ることに意味があるのではなく、一人一人が全体に対して参加を熱望するエネルギーがなければ、無意味なシステムだ。参加させられるだけの参加型メディアに唾を吐きかけろ。それは、旧来のメディア権力の延命策でしかない。一人一人の参加への意志が磨き上げられた結果に、本当の参加型メディア・システムが登場するのだ。

◇表現行為とは、それを表現する本人が、より高みを目指していく行為である。しかるに既存の「コンテンツ」業界の発想は、より広く分かりやすくすることを目指している。それは、その方がマーケットが広がるからだ。その結果、売れるコンテンツは、売れれば売れるほど、読者(客)の層が低年齢化していく。

◇一度、売れるとか売れないとか、受けるとか受けないとか、そういうこざかしい概念からはずれたところで、表現活動をしてみないか。本来、常に、表現活動というのは、生きていくのと同義に、内側から湧き出てくるエネルギーにゆだねて前へ進む行為なのではなかったのか。一発当てるためにでも、友だちに喜んでもらうのでも、暇つぶしでも、オナニズムでもなく、あるいは、それらの当為すべてを巻き込んで舞い上がるエネルギーそのものの龍であったはずだ。表現行為とは、なによりもまず自分自身が生きるためのものである。

◇明治初期に、それまでのインテリ層にとって当然の作法のように身につけていた「漢詩」というスタイルを打破するために、西洋的な自由詩の展開をかかげて「新体詩運動」が始まった。今から見れば、国家政策として怒濤のように攻め入ってきた「西洋文化」に対する、甘い憧憬と性急な迎合のように見える。

◇僕は、日本の近代文学というのは、近代を謳歌した文学ではなく、外部から浸食してくる「西洋」の波に傷ついたアジア日本の心の問題だと思っている。漱石しかり、透谷しかりである。本来の生活・人生スタイルに対して暴力的に「新しさ」を突きつける「西洋」「近代」に対して、理解しつつも生理として受け付けない心の葛藤の中で、本質的に傷ついた姿を表したのが近代日本文学であった。

◇当代の大知識人であった夏目漱石は、ロンドンに留学をして、西欧人には、日本人の「情緒」というものが分からない、と嘆く。しかし、日本に帰ってきて、あたりを見回すと、逆に、日本にはなくて西欧にはあるものを理解する。それは「思索」というものである。日本人は情緒しかない、と嘆くのである。僕は、学生の時に、漱石の漢詩を読んで「情緒と思索」を融合させようとする、漱石の方法論に触れた。

◇明治の新体詩運動は、西欧的な情緒の導入であった。時代背景を想像するに、それだけでとても大きなインパクトのあった運動だと思われる。僕は、明治の頃に近代が導入された日本の人々と同じ状況が、情報化社会が導入された現代日本の人々の心性を襲っていると思っている。それはグローバリズムの名のもと、世界中の人々にとって、近代化と同質かそれ以上の衝撃を与えていると思う。

◇ビジネスでも社会システムでもなく、一人の人間個人の心と魂の問題としてこうした状況を見れば、逃亡でも引きこもりでもなく、新しい表現行為へ向かうことによってでしか、次世代の人の主体性は築きえないだろう。混迷する時代状況は、表現活動にとっては千載一遇の契機でもある。

◇インターネット・ケイタイ文明の端緒において、僕は、新しい文化形態を「深呼吸する言葉」とて提起したい。その根底にあるのは、漱石が苦闘した「情緒と思索」をどう止揚するか、ということだ。単なるポエジーではなく、単なるロジカルシンキングでもない。そして、どちらでもある。アジテーションでもあり、日常情感であり、エッセイでもあり、ジャーナリズムでもあり、グチでもあり、ぼやきでもあり、苦言でもあり、賛意でもあり、ダジャレでもあり、概念規定でもあり、提言書でもある。そして、いずれでもない。新しい表現活動ムーブメントを「深呼吸する言葉」として、スタートさせたい。別個に進んで共に撃つ。それぞれの場所から進んでくれる人を求む。


■導入マニュアル

▼基本ルール
◇1本の原稿は、100文字以内でまとめてください。
◇ブログは、どこのサイトでもかまいませんが、「はてな」を推奨します。
◇全体のタイトルは「深呼吸する言葉・本人の名前」としてください。
◇各文章のタイトルは、「深呼吸する言葉・なんでも良いです」。つけなくてもかまいません。
◇公開は、1日1本に限定してください。選ぶことも大切なことです。
◇開始したら、橘川まで、URLをお知らせください。メールする時は、タイトルは「深呼吸する言葉」にしてください。橘川の方で、リスティングして公開します。

▼詳細は以下。
http://www.demeken.net/kit_photo/cat50/

▼展開案
◇ある程度の動きがまとまったら、橘川が選ばせてもらい、「深呼吸和歌集」として書籍化していきます。「インターネットは書くためのもの、本は読むためのもの」ということを実践していきます。

2008年03月26日

書くスピード

人が読むより早く書きたい。
人が理解する範囲より遠くへ行きたい。

一番難しい問題を一番平易な言葉で語りたい。
難しい言葉で語ることが難しい問題にぶつかることではない。

悲しいことを微笑みながら語りたい。
言葉の自由を解放したい。

嘘も本当も同じ質の問題として書きたい。
結局、「書く」とは「書くこととは何か」に行き着くのさ。

ノート開始

僕の場合は、じっと考えて文章を書くタイプではなくて、向こうから言葉がやってくるのを、
すれ違いざまにキャッチするという、いわば、昆虫採集的な書き方をする。
言葉がやってこなければ、書かないだけだ(笑)

それらの来訪したフレーズや、コンセプトを、整理整頓したのが「深呼吸する言葉」である。

このノートでは、まだ整理整頓していない段階で、公開し、どうやってまとまっていくのかを
見せることによって、新しい、深呼吸ライター(笑)を誘導していきたい。


続くかどうか分からないけどね。飽きっぽいから(笑)