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2008年03月26日

Station to Station

P2Pというのは、デビ゛ッドボウイが1976年に「Station to Station」というキーワードを
出した時からの問題だ。私という駅から、あなたという駅につなぐ鉄路。

まずは、自分自身が、何らかしらの所在地と役割を明らかにした「駅」にならなければ
ならない。単なる乗降客がいくら増えても、S2Sにはならないわけさ。

書くスピード

人が読むより早く書きたい。
人が理解する範囲より遠くへ行きたい。

一番難しい問題を一番平易な言葉で語りたい。
難しい言葉で語ることが難しい問題にぶつかることではない。

悲しいことを微笑みながら語りたい。
言葉の自由を解放したい。

嘘も本当も同じ質の問題として書きたい。
結局、「書く」とは「書くこととは何か」に行き着くのさ。

仏像

昨日、病気で長期入院しているイトヒロの所に本を持っていった。
イトヒロは最近、仏像の絵をベッドで描いて、「厄よけ」として携帯で送ってくる。
奈良の寮ちゃんが、仏像の写真集を送ってくれるので、それを手本に書いている
らしい。なんか、えらく迫力あるんだよな。

内緒だけど(笑)僕の「深呼吸する言葉」も、時間から仏さんを掘り出す行為なんだよな。
仏さんを掘り出すことが目的ではないけどね。

僕の場合、仏さんとは小学校5年生の時に出会ってる。
それは「普遍性」とか「永遠性」というものなんだけど。

僕に何らかしらの強さがあるとしたら「誤解」されることを恐れないことだろう。
むしろ期待しちゃうところもあるしさ。

クラサバとp2p

サーバー型人間とクライアント型人間がいて、良いサーバーには良いクライアントがつながる。
P2P(peer-to-peer)は最終モデルだが、そこに至るには、個人の側で、まだまだ苦しい経験が必要だ。

要するに、コンピュータとか技術は、人間をモデルにしてるわけだから、人間関係の本質が
ネットワークの本質になっていくわけだ。

クラサバのモデルと、P2Pのモデルがあって、原理主義的にはP2Pなんだけど、
現実的に安心出来るのはクラサバだったりする。

P2Pに耐えられるように人間は、本来、自立したサーバーとしても成り立つ人間なわけだ。
そんな人間ばかりだと思えない(笑)

橘川は、脱編集を唱えてきたのに、最近、編集の力を言い出すのは変節か、と言われたが、
どちらも、まだまだ使えるコンセプトだから、使い切るのよ。

ということで、このあたりの、クラサバ論と人間関係論を見ていくと、何本かの深呼吸する言葉が
生まれそうだ。

ノート開始

僕の場合は、じっと考えて文章を書くタイプではなくて、向こうから言葉がやってくるのを、
すれ違いざまにキャッチするという、いわば、昆虫採集的な書き方をする。
言葉がやってこなければ、書かないだけだ(笑)

それらの来訪したフレーズや、コンセプトを、整理整頓したのが「深呼吸する言葉」である。

このノートでは、まだ整理整頓していない段階で、公開し、どうやってまとまっていくのかを
見せることによって、新しい、深呼吸ライター(笑)を誘導していきたい。


続くかどうか分からないけどね。飽きっぽいから(笑)