個人という情報
仕事を楽にしようとして、楽になったら
スポーツで汗を流す。
人間は不思議な動物だ。
情報公開法を夢中に整備しつつ、個人情報保護法案を
過激に推進する。公に対する私の攻撃。
帝国主義ならぬ帝私主義
個人情報が大事だと言いながら、
スーパマーケットのお姉ちゃんの名前がレジシートに
クレジットされている。
個人情報保護法によって守られる「自由」とは何か。
それは窒息していく自由ではないのか。
やがて写真機は非合法になるだろう。
街頭で写真を撮れば、さまざまな個人が写る。
彼らのプライバシーが写真の価値となる。
新聞や雑誌は、個人が特定出来ないように、
フォットショップ処理をかける。
しかし、時代は、そちらの方向には動いてはいないのだ。
やがて、どのような小さな情報からでも、その人の個人が
特定出来るようになる。
そうなったら「写真」なんて撮れなくなるさ。
花や猫の写真を撮る中年が多いのもうなづける。
個人情報の主張をしないものばかり撮ってるわけだ。
しかし、写真ってそういうものだったのか。
風景の中に時代を感じ、
表情の陰りの中に時代を思うものではなかったのか。
すべての写真が盗撮になる前に、最後の写真を撮っていきたい。