社説・第2の開国を!
●橘川幸夫
2008年秋に勃発したサププライム・ショックによる世界的金融恐慌は、戦後社会を推進してきた方法論の蹉跌であり、現世利益を尊重するあまりに未来の果実すらも刈り取ってしまった「単年度会計」の破綻である。
戦後社会の方法論とは、世界大戦で物理的に焼失してしまった、衣食住の生活物資の量的拡大を目指すものであり、それは初期の段階では圧倒的に正しかった方法論であるが、「豊かな社会」を実現したにもかかわらず、方法論だけがひたすら暴走してしまった。目的を達成しても、方法だけが目的を無視して量的拡大を推進してしまった。
日本社会の豊かさを保証したのは、自動車と家電を代表とする国内のグローバル企業による貿易収入である。特にトヨタ自動車は、もっとも日本的な企業として、国内市場はもちろん世界市場においても「俊敏なガリバー」のような動きで他社を圧倒し、国内に利益を還元した。年間売上高が21兆円という数字は、日本の国家歳入(売上げ)が80兆円程度であることを考えても、とてつもない数字だ。この売上げが金融恐慌で大幅に落ちる。
具体的な数字を想定することが趣旨ではない。おおざっぱに考えてみよう。トヨタは、量的販売台数の拡大を目指し、年間1000万台の生産台数を目標にしていた。2008年度は935万台(国内+国外合計)と、あと少しの所に達していた。この目標はもはや永遠に達成されないだろう。トヨタ首脳は、すかさず目標値を変えた。すなわち「600万台で利益が出る構造を目指す」と。
トヨタ首脳の判断は正しい。そして、これが今の日本社会のあらゆる領域に適応されるべき数字なのである。これまでの売上げが1000だとしたら、これからは600しか売れない。4割減である。隙間にねじこんで市場を拡大するビジネスも、まだまだあるだろうが、戦後社会の本道を歩んできた産業は、4割のダウンになると考えるべきだ。そして4割でも生き延びられる道を模索すべきだ。毎年10%の右肩上がりの成長を期待することは出来ない。トヨタでいえば、600万台が実需の数であり、あとの400万台近くはバブルの部分であったと思うべきだ。これからの社会は実需の範囲で生産効率と品質を高めていくことがテーマになる。量的拡大の時代は終わって、質的充実の時代が始まっているのだから。
さて僕たちの生活はどうなるのか。僕たちの生活も、ある「豊かさ」を実感した時代から、その後は、バブルの生活であった。しかし、人は簡単に「必要なものだけあれば良い」というわけにはいかない。ましてバブルな生活に溶け込んで生きてきた身において、一気に生活を4割絞り込むというのは、耐えられないだろう。4畳半のアパートから始まって、2LDKの賃貸マンションに移り、郊外の一戸建て住宅で生活している人に、いきなりワンルームマンションで生活しろというのは酷である。生活費が1割削減するなら、ちょっと辛いけど我慢出来るだろう。しかし4割ともなると、大きな無常観に日本全体が支配されるだろう。
もういちど日本全体のこととして考えてみよう。日本の豊かさは貿易による外資獲得で支えられてきた。トヨタの20兆円の4割が失われるとすると、その8兆円を、別な形で補完しなければならない。しかし、この8兆円はトヨタ自動車が復活して、再び1000万台を目指す進軍が始まるわけではなく、第2のトヨタが生まれてくる希望はもはやない。戦後日本ががむしゃらに邁進した活力は、すでに中国やインドに重心が移っているのは間違いない。
失われた4割の外貨を獲得するのは、戦後型のグローバル企業ではなく、中小企業や個人の力ではないかと思う。インディーズのミュージシャンやアーティスト、あるいは地域物産の生産者たちが国内市場だけではなく、世界に向けて販売網を広げていくべきである。1社で何兆円もの売上げは無理でも、小さな企業や個人が何百万という単位でグローバル市場を意識して進めば、数字的には無理なものではない。インターネットが推進されてきたのは、そのためでもあるのだから。地産地消は正しい概念だが、地球産地球消という概念も同時に必要なのである。
トヨタをはじめとして海外に進出してきた日本型グローバル企業は、一斉に海外拠点を撤収して、駐在員を一人残して引き上げようとしている。愚かな戦略だ。彼らは世界で商品を売る力とノウハウを持っているのだから、今後は、自社以外の商品を販売するコンサルテーションを追求すべきなのである。
個人や中小企業がグローバル市場に進出する、ということは、誰でも今すぐ出来る。大きな方向性とやる気があればよいだけだ。僕は、表現者としての最終スタイルを「深呼吸する言葉」という概念に集結した。まずは、英語版の本を作った。現在、アメリカ本土でのオンデマンド出版や、iPhoneを使ったコンテンツの開発を進めている。
もはや大組織が進路を決めて、それに従うだけの個人は生き延びられない時代が始まっている。過去の体制にすがるのではなく、文句を言っても仕方のない誰もいない壁に苦情を落書きするのでもなく、ひとりひとりが自分の判断で、新しい領域へと進んでいくべきだ。
2009年が不幸な世紀の始まりではなく、生き生きとした個人の時代が開始された年であることを願ってやまない。